2018/02/06

まだ、あんまり気力はありませんが…


まだ気分的には本格的な浮上が遠い感じですが…。今日はご飯作りもさぼります。もう献立がわからないし… (T-T)

ぼちぼち絵のイメージが浮かびつつあるかな?どうかな?というところですが、早く暖かくなって欲しいという思いも切実です。



「あたしおかあさんだから」…そやからなんやねん (-_-メ)


一日遅れますが、昨日書こうかな、と思っていた話題。

母親の子育ての我慢を歌った『 #あたしおかあさんだから 』が物議を醸す→対抗して #あたしおかあさんだけど にメッセージが集まる

この話題も炎上していたようですし、とても共感なんかできない、というお母さん達が「#あたしおかあさんだけど」のタグで反論した、というのもなかなかいいんじゃないかな、と思いました。

おかしいよ、と感じたら「自分はこう思う」という意見は言えばいいと思うのよね。でないとその間違いに気付かない人もいるわけだし…。

問題の歌詞はリンク先にあります。

子供のために自分は犠牲になってる、という歌詞が呪いのようだって反論の声が大きかったようですが、機能不全家族の有り様を見ていると、確かに呪いの言葉になりますね。


詳しく意見を述べてくださっているのがこちら。

『あたし おかあさんだから』について


なるほど、と思いながら読みました。

私自身はお母さんじゃないけど、それでもおかしいとわかるんで、リアルにお母さん達が耐えられないと思われても無理はないでしょう。で、そういう気持ちを伝えるのもホントに大事だと思うし。黙っていても伝わるような世の中じゃないから…。




絵本についてもご意見がありました


私は知らなかったんですが、この作詞の「のぶみ」さんという方、絵本作家なのだそうです。こちらも自分で読まないで恐縮ですが、安くはない絵本、無駄な出費はやめたいし。幼稚園児の頃に幼稚園内の本はすべて読み切った、という経歴はあるにはあるので… (^_^;)


こちらのまとめに代表作の絵本について書かれていました。

「絵本の100年と未来研究会」に参加して思ったこと



いろいろな問題点が絵本の世界の裏にあるようで興味深いです。

私も時々、姪の子供に絵本を贈ったりするんですが、本当は実物を手に取ってじっくり選びたいです。でもそういう絵本を置いている本屋さんが近くにないから…。

もともと私自身がベストセラーに手を出さない人間で(ベストセラーっていうのは普段本 なんか読まない人まで手に取る本だから、評価がいまいち信用出来ないのよね)ほとんど直感に頼っているんですが、それでもこの「ママがオバケになっちゃった」には手が出ませんでした。

そうか、その時に本のことだけうっすら覚えたんだなあ…。

なんというか、特定のファンの人だけに祭り上げられちゃったら、本当のことがわからなくなるから怖いよね、という例みたいな…。

こののぶみさんの身近にはファンしか存在しなくて、あえて苦言を呈する人物とかもいないと思われます。

これだけ多くのお母さんを中心に反感を買って、それを成長の糧に出来る人ならいいのですが、受け入れられないくらいならダメになったほうがいいと思います。児童書じゃなくても大人向けの本ならもっと言いたいこと言えるでしょうし…。

文化すら痩せて行く時代の中にいるのは哀しいと思いました。

私なんかよりも学歴はあるのに、なんでそういう考え方しか出来ないの?って、このごろ感じることが多くて、そのことも不思議で哀しいことです。


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2018/02/05

すいません、今日も休みます



ご飯の用意だけしたら、もう気力がなくなりました。

書きたいことはあったんですけど、もうどうでもいいや…(*-д-)-з



本格的にお絵描きしたいとか、手紙が書きたいとか思えるように

ならないとダメだなあ、という実感です。



どこからも気力が湧いてきません。

なんとか生きているだけでもましだと思っていよう。



早く軽躁状態くらいに戻りたい。一生軽躁でもいい。

それなら幸せなのに… (T-T)

寿命が数年短くなっても絶対に軽躁のほうが幸せだと思う。



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2018/02/04

微妙な病気のボーダーラインあたり



トライポフォビア 極小のぶつぶつ

いろいろな人のハンドメイドのクラフト作品を見ているうちに気がつきました。私、重症ではないですが、トライポフォビアの気があるみたいです。極小のパーツが寄り集まっているのを見ると鳥肌が立つんですね。うん、でも草間彌生さんの作品くらいなら大丈夫。もっと細かいぶつぶつがダメです。

いつも底の色が黒い片手鍋でお湯を沸かしたりするんですが、沸騰が近くなってくると白い泡が一杯…というのもちょっと苦手です。お玉で必至に潰してます。トライポフォビアの人って結構いるんじゃないかなあ??

ブツブツ恐怖症の原因に新説、トライポフォビア
小さな穴や斑点の集合体を人はなぜ怖がるのか



ナショナルジオグラフィック、最新号、面白そうだなあ…。



母の胃ろう交換


昨日、母の胃ろうの交換も無事に終わりました。「痛なかった」と本人は言っておりましたが。看護師さんとかが相手だと、ちょっと憎まれ口っぽいことも喋るんだなあ。私の時も省略しないで欲しい。懸命に読むのも限界がありそうでさ… (ーー;) 

でも昨日はひげそりのためのカミソリを忘れた、と言ったら、はさみで切る動作をするので、「はさみでもいい?」と先が丸い赤ちゃん用のミニはさみを持っていたんですが、それでもいざとなると怖いらしいです。来週は忘れないようにしないとね。

先生が来られる2時まで結構時間があったので、加湿器を手入れして、とりとめのない近況報告をして、「寝ようか?」とお互いに、私は椅子のままでうとうととしてしまいました。母もベッドで寝ていたようです。あの部屋、本当にどうしてあんなに眠くなるのか不思議です。でも変な姿勢になっていたのか、なんだか身体中が痛いですが… (ーー;)


胃ろうの交換は10分か15分で済みまして、before&afterの写真を見せていただきました。6ヶ月でも結構汚れるんですね。まあ、注入食の中には脂肪分もあるだろうし…。

母はきっちり6ヶ月ごとに交換してくださってますが、父が初めて胃ろうになった時、在宅だったので、相談するのはかかりつけの先生しかなくて、「まだ大丈夫だろう」ということで、1年半持たせたことがありました。

さすがにそうなると漏れてくるから私は大変で、やっと交換に言ったら、病院の内視鏡の先生に「危ない。もうちょっとで開腹手術になるところでしたよ。」と劣化した胃ろうの写真と手紙を預かって帰ってきました。まあ、以後は真面目に半年ごとに交換に行くようになりましたが… (*-д-)-з

どっちにしても疲れますね。わずか3時間しかいなかったのに、目茶苦茶疲れた… (ーー;)



当時はあんまり病気だと思ってなかった


私は高2の時からパニック発作と付き合っていましたが、当時はパニック障害の病名もなくて、不安神経症と言われてました。それでも精神科の敷居はまだ高い時代で、そもそも精神科の受診が必要だという概念もなくて、近所の内科で軽めの精神安定剤をもらっていました。名前が出てこないけど、おそらくバランスとかセレナールあたりじゃなかったかな?と思います。

それで私自身もあまり病気だという意識もなくて、パートにも行ってましたし、家族と旅行も行ってたし、どうしても行きたい時はお能の例会とかも一人で行ってたし…。

結構行動することで改善を意識していたというか、そういう願いもありましたが、結局は家族の緊急事態につき合って、否応なしに慣らされたのと、精神科でのSSRIが結構効いたんじゃないかな?とも思っています。

パニック障害は悩んでいないというとウソになりますが、悩みつつ積極的に克服したいとはずっと思ってたなあ…。当時の感覚では今のような全身のしんどさはなかったから、辛いといえば今の方が辛いです。

あんまり病気だという意識を持たない方がいいんじゃないかと思うんですが、それでも勝手にしんどくなるのが現在の困りごとですね〜。


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2018/02/03

すいません、今日はお休みです



書きたいことが浮かばなければ、数日でも休む可能性はあります。

どうにもうつ状態から浮上が出来なくて、なんとか寝込まずに

家事だけでもやってるだけマシだと思って…。



あまりにも気力がなさすぎて、なにか作ることを考えないと怖いなあ、と

思います。私がお金を使いたくなるのは、これ以上落ちないために

なにか励みになりそうなことに投資しようかなあ、というパターンで、

よく言われるように、気が大きくなっているわけでもなく、死ぬよりは

なにかやって励みになった方がいいよね、というパターンです。



普通の双極性障害とはちょっと違う感じ。それ以上落ちないための

ストッパーとして働いてくれるならいいんですが、毎回うまくいくとは

限りませんし…。



ああ、もううつうつとしているのも飽きたけど〜 (T-T)





12時にはタクシー予約しておいたので、母のところに行きます。

2月に胃ろう交換だったら、次回は8月ですね。

寒い最中と暑い最中ですね… (*-д-)-з



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2018/02/02

どこまでいっても私は私でしかない(裏表にあまり差がないな)



こういう企画って面白いですね

いつのまにかもう2月になっている(ーー;) まあ、今年は1月の前半でサイトの更新はしたけれど、ほかにあんまりまとまったことしてないし…。まだうつうつから抜けられないし…。もっぱらあがいている最中ではあるんですが…。

こういう企画に応募させていただいて、なんと、本をプレゼントしていただけることになりました。

お譲りん本屋さん・新春大感謝祭!今回は応募者全員プレゼントでーす!




出版社のバックアップとはいえ、こんな太っ腹なプレゼントっていいのかなあ??と思いつつ、応募。

わりと既視感がある本が多かったので、あえてこういう本を選んで見ました。



「塗り絵&内観メソッド」

数日前に送られてきました。私がお願いしたのはこれです。

新感覚の「塗り絵&内観メソッド」で気づく ほんとうの私を見る練習





本文の中にある、モノクロ点描画がものすごいです。見ているだけで肩が凝る…もとい。一見の価値がある精密さです。表紙の鳳凰の絵のような作品がたくさん載っています(^_^;)

いや、でも、この本の趣旨はそうじゃなくて、文字通り「絵を描いて、色を塗って、自分の内部を見つめ直そう」という感じのものなので、小さな線画が8枚ほどついています。

私も一度やってみようと思いました。選択した線画はこれです。

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「ああ、これって太極図だなあ」と感じたので。おもしろそうだったんですね。基本的に画材はなんでもよくて、気軽な色鉛筆が使われることが多いようですが、昨日のマッサージで相当手が疲れてる、という指摘をもらった身としては色鉛筆だと力が必要なので、無理しないでPhotoshopにしようと思いました。私には使い慣れた画材ですし。15分くらいで完成。

日頃から「絵を描くことは瞑想に近い」と感じている人間なので、違う見方とかあるのかな?という興味が大きかったですが…。





なんか…個人的なことを超えてる気もするけど…

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で、これを眺めて、の質問があります。


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●手元で眺めてどんな感じがする?

不思議だ。あまり暗い印象がない。

●どこに眼がいくか?

太陽紋

●なぜそこに目が行くのか?

非常に寛大で暖かい感じがする(太陽だしね。太陽以外のものには見えない)

●離れてみるとどう感じるか?

アンモナイトっぽい

●手元で見た時と離れて見た時の感じ方の違いはなに?

近くで見ると空間を、離れて見ると時間を感じる。
地球そのもののような気がして、大きな円の中に地球を置いてみた。


●自分のことをどう思って見ている?

どうも私は他の人よりも「地球」との縁が長く深いような気がする。

●離れて見たとき、客観的にどのように写っているか?

力強さと調和…かなあ?他の人にはどう思われるかわからないけど、あんまり気にならない。

●輝く未来はどこに映っているか?
 それはどんな未来を表しているのか?

すべてを超えることが可能な鳥を飛ばせました。
私は宇宙のモチーフによく鳥を添えたくなります。宇宙船じゃないんですよね。
戦艦でもなくて(?)空気もないけど飛べる鳥、というのは思念の象徴かもしれません。


●まずどんな一歩を踏み出すのか?
 今日から出来るスモールステップはなにか?

自分でもまたマンダラが作りたくなった。
それと材料費がかかるために躊躇していたクラフト、やってみようかなあ。
どうも私は宇宙と地球をテーマにしたいらしいです。
それは自分でやらないと誰もやってくれない気がするから…。

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やっぱり誰かの素材をお借りしても私は私以外のなにものでもないわ、と改めて強く思いました。
この機会にどーっとイメージが降りてきて、創作の世界が拡がればそれ以上嬉しいことはありません (^_^;)

ここのところ、本当に地球と宇宙には不思議なくらいにひっかかっているんですよね、私。



この内観は人さまの作品をお借りしてやることも可能らしいですが、そういうのも面白そうですね。



貴重な機会を与えてくださったオキエダクルミさまとClover出版さま、どうもありがとうございました (^_^)



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2018/02/01

いろいろとこころが揺れる今年の冬です


冬季に限定されないうつかもしれませんが…

いままで、冬場はわりとましな感じで過ごしてきた私ですが、今年はやはり様相が違います。冬季うつ、というのを眼にして、改めて調べてみると、ほとんどの症状が当てはまるんですが、これって夏だけじゃないしなあ… (ーー;) 

夏は夏で微熱に始まって倦怠感でダウンしていることが圧倒的ですし、なんとなく地球の季節変動に合わなくなってきたような気もしないではありません。


季節性感情障害 (SAD)


●気分が落ち込む(午前中のほうが症状が強い)
●気力がなくなる
●元気が出なくなる
●生きる張り合いがなくなる
●物事を楽しめない
●イライラする
●人と会いたくない
●性欲が減退する

●甘いものも食べたいです
●眠気も強いし…
●頭痛も続きます


うつには違いない気がします。なんだか環境に合わなくなっていそうな感じ…。寒いとか暑いとか言うだけで調子が悪いから、自分でも非常に困っています。寒いからって死にたくなったら命がいくつあっても足りないよね (^_^;)

いずれにしても今年は辛い冬になりました。暖かくなるのを心待ちにしたいと思います。





感謝したいと思うので…


昨夜ふらっとpixivに行って見たら、いつのまにかフォロワーさんが700名になっていて、思わずスクリーンショットを撮ってしまいました (^_^;)

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前、確か「666」の記念を撮ったのを覚えていますが、それ以降も地道にフォローしてくださる方が増えていたのですね。本当にどうもありがとうございます。

ブログが炎上するわけでもないし、日常で多くの一目を浴びることもまずないんですが、いただくフォロワーさま、ブクマ、スター、コメント、ハートマーク、拍手、「いいね」などなど、みなさまからいただく応援だと思って感謝しております。すべての方に個別にお礼が言えなくて申し訳ないんですが…。


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「いいね」順だとやはり素材が上位を占めていますが、オリジナルもそれなりに入っているのが嬉しいな。珠晶さまも入ってるけど… (^_^;)

うつうつとしているときに一番元気のもとになるかもしれません (^_^;)


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綺麗なものが大好き


実はいま現在、ちょっとやってみたい、というか作ってみたいものがあるんですが、材料費がかかるので、躊躇しています。私ってどうして自分以外にはなんの価値もない、ただ「綺麗なだけ」のものを作りたくなるんでしょうか??なんだかこれって生まれつきの性のような気がしなくもないんですが…。

「こういうのが作りたい」(頭の中にあるだけ)すでに他の誰かが形にしていてくれたなら、私がやらなくても済むんだけど、頑張って捜してもそういうのは見付からないし…。そうだよなあ…。私の頭の中にしかないもんね。…そういうものにばかり心惹かれるのが私の性なんですね。

で、そういうものと相対している時は希死念慮も忘れるという…。双極性障害のひとつのパターンみたいな人生だと思います… (ーー;)

もうちょっと悩んでみよう…。



私が集めた綺麗なものと可愛いものと。


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2018/01/31

冬でも精神的暴風雨になることがある



冬季うつ…かどうかわかりませんが…

今年は寒さのせいもあってか、ずっとうつつとした気分が抜けないまま過ごしていますが、昨日はまず朝の気分が悪くて、起きられるかどうか、かなり葛藤したんですが、薬を飲んで、不調だったタブレットの様子を見たりしながら(寝たままです)ごそごそしているうちに、やっぱり2時間くらいはかかりますね。やっと起きられたのが7時かな。

ご飯を作るのも嫌だったんですが、なんとか作るのは作りました。でもそれ以外になにもしなくて、買い物に行ったのもお昼過ぎてからでしたけどね…。

予定は未定だけど、今日はカレーにでもしようかなあ…。



希死念慮は台風だと思ってみた


午後からはやはりひさしぶりの明確な希死念慮がやってきたもので、「どうせこれも風だから…。通りすぎる台風みたいなものだから、必要以上に捕らわれない方がいいなあ」と思いました。

で、やりかけていたドールフォトのレタッチの続きを黙々とやっていました。

このフォトレタッチも、私にとっては作品を作るのと同じくらいにクリエイティブな作業なんだなあ、と気がつきました。夢中になりつつ無心になる、という精神状態になれるのって、お絵描きの時と、それに近い作業をしている時だけですね。それでその作業がかなり瞑想に近い気がするんですよね。一度脳波を見てみたい気がしますが…(^_^;)

なにかを作ることに夢中になる作業って不思議なカタルシスがありますね。で、「通りすがりの死の誘惑」に対抗するのには「なにかを生み出す作業」に勝るものはないわけです。私はそれによって救われていると思いました。

いまはお絵描きのテーマがないから、こういう時はよくweb素材を作ったりするんですが、フォト関係の作業でもいいみたいです。

まあ、私がどこで写真を撮っても、「資料に使う」「作品に使う」「アレンジ加工する」ことしか考えてないもんなー。まあ、ないものは商用利用も可、のフリー素材をいただいてきますけどね。



展示会かあ…どうしようかなあ…

あ、そういえば。グループ展のお誘いとかいただいているんですが(春に)参加できるかどうか、悩ましいところです。新たな作品が描ければ参加したいですが…。一応地元だし…。

でもこの冬は本当に不調だから全然自信がありませんし…。もうちょっと様子を見て、なりゆきで決めてお返事したいと思います。

個展なども憧れはありますが、でも絵をお金にするつもりがないから、そういうのも出費だけになってしまうと思うと、やはり贅沢はできないと思うのですね。どこかのスペースをお借りして、準備して…となると何十万単位にはなるでしょうし…。無理っぽい。

いまは気持ちの負担になるから考えるのはやめておこう。



昨日作った静御前の続きです(^_^;)

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背景、鶴岡八幡宮にしてみた(^_^;)


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2018/01/30

見えないところに気を配りたいと思うこと



加湿器のお手入れについて


このところ、心身ともに調子が悪い日々が続いていてうつうつとしています。私が調子がいいときは大抵ブログも予約投稿になるのですが、いまごろの時間まで書きたいことがうかばないとか、まとまらないとかいうときはやっぱり不調の目安になるなあ、と自分でも思います(ーー;)


まあ、昨日は母のところに顔を見に行ってきたんですが…。土曜日は胃ろう交換のためにどうしても行かないといけないので、本当に顔を見るだけですが。

行ったついでに加湿器を綺麗に手入れと掃除してきました。こういうのがあるのでね。

死の危険も…加湿器からの菌感染どう防ぐ?



部屋の水道からは熱湯は出ないでしょうし、やっぱりエタノールは細部の掃除のときにも必要な気がするけど…。子供用の歯ブラシとか、綿棒とかも必要になるかなあ、と確認してきました。汚れやすい部分も確認できたので、来週からは集中的に手入れすることが可能だと思います。一応、100円ショップになったクエン酸も手に入れたので、それも使えるかも…。

特養では決して多くの人数がおられるわけではないので、こういうことは毎週家族が行ったときにやる方が確実だと思います。どうせ在宅で見ていても家族がやるんだし…。熱湯が使えないのが不便だけどさ。

特養にいても、こういうことは自分でやった方が安心、というのもありますので、まあ、それなりにやることがあった方がいいなあ、と…(^_^;)

それで用事が済めばまたしても眠気に襲われていたりして…(^_^;) あ、そうだ、のびすぎたヒゲのようなものを切ろうとしたらハサミだと怖がるから、安全カミソリのようなものも必要かもしれませんね。

母を特養に預けているから、介護に関することをまったく考えずにすむわけでは決してありませんで、距離があるけど、大抵ずっと気にしている状態ではあります。



情動の底がないと本物の文章は書けない


私はいくつかのクラウドソーシングに登録だけはしています。実際にやることはほとんどありませんが、何気にライティングの分野にも登録はしてあったんですよね。そうしたらたまにお声がかかりますが、そういう仕事って本当に私の興味がない分野ばかりなんですよね。

髪の毛対策とか、旅行についてとか、仮想通貨について、とか。そういうのって素人にも声がかかるらしいです。まあ医学とかじゃない分、ましかもしれませんが、私は自分が興味がなくて、勉強したり、経験したり、そういう潜在的な関わりがないと、そういう文章は書けないと思いました。

例えば自分が経験した病気についてとか、介護について、とか、そういう裏付けを自分で取れる分野のものなら書けると思いますが、資料があったとしてもそれをレポート的にまとめるというのも多分無理です。そこに情動がなければ。

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(心身の動揺を伴うような)強い感情、感激、感動、(喜怒哀楽の)感情、(理性・意志に対して)感情、情緒

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エモーションがなければ生きた文章が書けないです。

このごろプロの記者の文章でもなんだかいいかげんなものが増えつつあるので…。まあ情報としての文章にエモーションは必要じゃないかもしれないけど、でも冷静な底の方に見えたりするよね。

不器用だけど、借り物の情報で借り物の文章を作るのは私には無理だと思いました。だからライティングの項目は削除しました。どうせなら、心が動く本物の文章しか書きたくないです。

ブログの文章がより「私に近い」というのはそのエモーションの部分が底として存在しているからだと思います。だからブログは書けるけど、ライティングの仕事は無理、というのも私には自然なことでした。

とことん、不器用だと自分でも思いますが…(*-д-)-з


読む方にしても、底がない文章は基本的に信用しない方がいい、と思っています。ちゃんと署名の入った文章、もしくは個人のブログの内容の方が信用に価する気がします。

多分、偏見じゃないと思う。うわすべりして頭に入ってこない文章も少なからずあるのが、いまのネットの世界ですしね。


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2018/01/29

静御前のドールフォト



今年になってから、毎朝起きると頭痛がしています。痛いところがあるから、不機嫌なこともよくあります。で、結局鎮痛剤を飲んじゃうんだな。今のところは1日一度でほぼ済んでいますが、これがひどくなったら困るなあ、とは思いますが…。

昨日も結局母のところに行きたくて行けなかったので、今日はできたら…と思っています。



今日は手抜きで(文章よりよほど手間暇かかってますが)久しぶりのドール写真など…。

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以前、白狐の水干を作ってくださった和裁士さんが今回も作ってくださいました。これも水干ですね。白拍子の装束です。ずっとやりたかった静御前の装束です。

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この装束のためにわざわざプラモデルの太刀まで作ったんですが、意外に小物は侮れないというか、些細なもので、リアリティが増す演出になるので、白狐の耳と尻尾とか、巫女さんの天冠とか神楽鈴とかも大事な演出アイテムでした。


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ほんの少ししか見えないのに、そこにこだわってしまうのが私の性分で、着物本体は無理でも、こういう小物はわりと真面目に考えています。


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お絵描きの時も、歴史ものとか時代物は一応考証はしてるんですよ。漫画じゃなかいからわからないことも多いけど、「きっと専門家しか突っ込まないよね」とも思うんですが、見る側に違和感があればダメだと思うから、そのへんは私のこだわりです(^_^;)

正しい考証からわざとはずすこともありますが…。アレンジも入りますが…。でもこだわれるところはこだわりたいなあ、と思います。


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2018/01/28

しんどい人生だから、自分の遺伝子は残したくなかった


天候と気分次第で…

今日か明日に母のところに行こうかなあ、と考えているので、とりあえず予約投稿しておきますね。
お天気がよければドールの写真も撮りたいです。なんといっても綺麗に撮れる条件が「晴れた日の午前中」限定なので、どうなるかは全然わかりませんが…。

このところ、午前中はめっきり気分が悪いので、それもあんまり自信がないかなあ…(*-д-)-з なんだかなあ…。こういう日が続くとやっぱりうつにもなりますよね…。



自分の遺伝子は残したくない


私は10代の頃にはすでに「自分の遺伝子を残したくない」と願っていた人間でした。…というのはそれまでだけでもすでに結構しんどい思いで生きていたからですね。外見とか才能とかそういうこととは違うんですよ。「もうこういうしんどい人生は他の誰か(自分の子供でも)には味あわせたくない」という思いと決意です。

普通に健康に生まれ育っていたらまた違う運命を選んでいたかもしれませんが、なんだか私はそういう後先のことが見えすぎた感があります。

きっと多分、遺伝性の病気を持っている人なんかも悩むんだろうなあ、と想像出来ます。そこへ行くまでに決断しようと思ったのが二十歳の時でした。以後、その決断に後悔したことはないから、あれでよかったと思っています。

結婚する気なら、声をかけてくれた人たちもいたんですけど…。やっぱりその気にはなりませんでした。私の本能は(身体の状態も)子孫を求めていなかったみたいです。



離婚の決断もありだな


弟は一旦結婚して、甥と姪が生まれましたけど、そういう遺伝的な危惧と、生活環境の影響とが案じられましたが、弟が離婚を決めたことで、少なくとも環境的な悪影響からは遠ざけることが出来たかなあ、と思っています。

実際に姪もパニック障害にはなったものの、早い対処と治療でスムーズに治ったようですし…。

どうもこういう精神疾患関係のことには遺伝の影響がつきものなので、健康な人よりは多くのことを考えてしまうのは仕様がないと思っています。あとは体質的なものもそうですね。これも結構きついのよ。

そういうマイナスの影響は全部私の代で、私が止めたい、と責任感のようなものを感じてしまいました。家なんて、もともと大した家じゃないから終わりでいいんです。何時間もかけてお墓まいりに来いとか言わなくていいように、市の共同墓地に家族全員埋葬してもらうつもりでもいますし…。

いまどき1000年も続く家系なんてほとんどないよね〜。さっき見てたら奥州藤原氏の子孫だとかいう人も「自分の代で家は終わらす。子供は持たない」とか言われてたみたいですが…(^_^;) まあ、こういうのもそれぞれの価値観ですから…。


私はとにかく、このしんどさを他の誰にも味わって欲しくない、私で終わりにしたい、という切望があります。そういう選択も人それぞれでアリだと思うな。

いまはこういうご家庭も少なくない時代なんだと思います。世の中がひどいから、よけいにそういうふうに思うようになっているのかもしれませんが、考え方では自然のなりゆきかもしれません。

モノの断捨離どころの話じゃないけどね(^_^;)




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2018/01/27

人生というのは基本的にクリエイティブなものなんだろう


どうしても心身の衰えを感じるこのごろ (ーー;)


このごろ、目が覚めると頭痛が定番になっているので、どうしても朝は鎮痛剤を飲んでしまいます。今朝もご飯を作ってから、たまらなくなって飲みました。明らかに機嫌が悪かったと思います。水も冷た過ぎて手の感覚がないし…。おかず1品しか作れなかったけど、あとはどうしようかなあ…??ご飯を作るのはいつまで経っても好きになれません (ーー;)

昨夜、ずーっと思い出していたんですが、父の介護が始まったのが2006年の1月でしたので、中休みが2、3年あったけど足掛け12年(丸12年か)介護に関わっていると、それだけ私も歳を取ったし、病気と二人三脚だし、やはり体力も気力もダウンして当然だなあ、と思います。特に今年になってからは…。

2015年の自室のリフォームとか、去年秋のお風呂のリメイクとかも、思えばよくやったよね、と思います。その最中はわりと無我夢中で動いているんですが、あとになってからどーっと堪えるのが私のパターンで…。

去年はまったくどこにも出掛けていませんでしたし、今年はもうちょっと動けたらいいんですけど…。家族にも手がかかるのはありますが、私が手を離すとどうしようもなくなるので、これは運命だと思わないと仕方がないですね。親戚とか母の兄弟も高齢になりましたし、孫たちも遠方だし、近くで動けるのは私しかいないけど…。まあ、その覚悟のおかげでパニック障害も治ったんですけどね (^_^;)

明日、行けたら母のところに行こうかなあ、と考えています。お稲荷さんにも行きたいけど、インフルエンザ要注意だしなあ…。(在宅介護の時も家の中にウィルスを持ち帰らないように細心の注意を払ってました)




圧倒される作品と出会った時



さて。昨夜見つけたアンケート。

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興味深いテーマだったので、私も参加させていただきました。

私は生き方そのものがそうなんですが「自分と他人を比較しない」人間なので、どんなにすごい作品を見ても、圧倒されても素直に感動する方で、その作品のために絶望することはありませんね。「ああ、この人は自分が描きたい世界をここまで表現することが出来たのね。よかったね〜」と思う。

そして自分が表現したい世界はあくまでも私の中に存在しているのだから、もっとも理想的に描くことができる可能性があるのは自分しかいない、ってことになるんですね。


これは人生そのものにも当てはまりますね。その人が持って生まれた「人生のテーマ」みたいなものが人それぞれにあると思うんですよ。自分が最もやりたいこと、向いていると思えること、喜びを感じることが出来るものは本当にみんな違うのが当たり前だと思います。

だから画一的な進路ではそれを充分に活かすことが出来ないし、その人が求める本当の喜びに辿り着きにくくなる、というのはありますね。だから私は学生時代の競争にはほとんど意義を見いだせない人間です。だって目指す方向はいろいろだしね。



人生の喜びについて


そういえば数日前にこんな記事を見つけました。

心に残る人生の喜びは、きっと「つくる」ことでしか感じられない


「創る」というのは内面的ではありますが、能動的なことですしね。確かに夢中になるとこれほど幸福なことはない、と感じてしまうものです。

まだ若い筆者の方の記事に付け加えるとしたら、この年齢になるとしみじみとわかるんですけど、「創る」ことの他にもう一つ「誰かのために何かが出来ること」「そのことでどこかに喜んでくれる人がいる」っていうのも大きな喜びになりますね。

身近なことを見ながら全体を考えることとか、そういうのもあるし、個人的なことが全体的なことにどういう風に繋がっているのか?と想像しながら行動するのも楽しいなあ、と思います。

そんなふうに「波紋を伝える」みたいなことが喜びにもなるなあ、と…。これは年齢を重ねるほどに強くなる実感ですね (^_^;) 

共通テーマは「その人らしく生きること」だね、きっと (^_^;)



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2018/01/26

介護には介護した人だけにわかる喜びもあるんだよね (^_^)



ちょこっとだけお仕事

昨日、訪問マッサージの先生にちょっとした仕事のご依頼をいただいたので(前金で!)なんとかして、Wordで応用が効くデータに出来ないかなあ、とあれこれやっていたんですが、やっぱりレイアウトの調整が必要なものはIllstratorでないと無理だわ (ーー;) 結局、Illstratorで作って、pngかjpgデータにするしかないと思うんですが…。

でもこれ平成の日付のテンプレだからわりとすぐに使えなくなりますね。まあ、その時は私が修正すればいいのか。おおもとの原稿はワープロ専用機の時代に作ったそうです。

私もWindowsとWordを使ったのは、土木設計事務所にいた1年だけでしたが、Wordは使いやすいと思っていました。Excelはわけわからないままでしたけど…。ちょうどWindows98くらいの時期だったと思います。あの会社では数値の入力にDOS/VのPCとかも使ってたなあ…。終業時間後にautoCADの勉強を…と言われたけど、そんなにやる気がなく、早く帰りたいから断って帰ってました。

ま、その会社、今はもうないですけどね。一番会社っぽい会社がないんだな。小児科医院は大正生まれの先生ご夫婦が亡くなられたから、そこももうないんですけど…。世の中の移り変わりは本当に諸行無常であります (ーー;)



介護と精神疾患の困った共通点


昨日、たまたまこの記事を読んで、介護の問題と精神疾患について不思議な共通点を感じました。

“小室ショック”と他人事ではない介護問題のリアル



…それは、「誰でも当事者になる確率が低くないのに、経験した人と、経験していない人との間に、越え難い壁が出来てしまうようだ」ということでした。

話しても多分わかってもらえない、だから話さないで抱えてしまう。実際に介護も病気も人それぞれに違うから、100%同じケースはないんですが、それでも打ち明けるだけで気が楽になる部分はあるよなあ、と思います。ブログに書くだけでも違うんですよね。精神疾患でもそうで、ブログのようなものを上手く利用する方法がありそうな気がします。


で、私の場合、結構重たいことを二つも抱えてしまって(あるいは三つか?)これで黙っていたら自分が爆発すると思ったので、こうやって書きたいことを書いている次第ですが… (^_^;) 沈黙が美徳とは思わない方なので… (^_^;)

昔から、私は痛みに対してはわりと我慢強い方でした。でも痛いと不機嫌になります。特に生理前とか生理中だとかはうつにもなってるうえに半端なくお腹や腰が痛いので、イライラがつのりやすく怒りっぽくなります。だから身近にいる人にうっかりあたってしまうこともあって、そうすると相手が気分が悪くなりますよね。だから前もって言っておく。「今日はこういう体調で怒りっぽくなってるから、ごめんね」と先に知らせて謝っておく。そうすると相手は「あ、そうなんだ」と理解して、多めに見てくれたりスルーしてくれたりしますよね。いらない摩擦が防げると思ってました。

だからどの程度理解してもらえるかどうかはわからないけど、とにかく伝えることは大事だと思っていました。すべての人がエンパスじゃありませんしね。別に心配して欲しいから言うのではなくて、無駄な摩擦を避けたいためですね。

私はもともと隠し事が好きな方ではないので、言葉で言えば大体伝わることは伝えてきました。だから人間関係のトラブルはほとんどなかったんじゃないかな…。




ささやかな介護のよろこびと楽しみ


介護についてはこのあいだ介護士さんやケアマネさんと話題になっていましたが、「かわいいおばあちゃん」という価値観が結構あちこちに見られて嬉しかったです (^_^;)

私が在宅の時にお世話になったケアマネさんはもともとナースで、京都市内北部の精神科の病院にも数年勤務経験があって、そこで出会った認知症の患者さんたちのことが「なんて可愛いんだろう」と思ったのがケアマネの仕事を選ぶきっかけだたったそうです。

で、Twitter見ていると、同じように感じておられる方が結構いらして嬉しかったな (^_^;)


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うちの父などは認知症ではありませんでしたが、それでもどんどん可愛い、と思える存在になっていきました。本当に尊敬出来るところと、可愛らしさが全然矛盾なく並立してるんですね。母もそうです。カンファレンスに行ってケアプランをもらうとそういう記述があるから嬉しいです。

なんていうかな…。ものすごく隙がない完璧に近いような男性、もしくは女性がいるとします(想像してね)。素敵だけど、あまりにも完璧すぎて近寄り難い…。そういう人がある時、性格的にものすごく可愛い面を見せたとしたら…これは惚れるわ…。「ギャップ萌え〜♥」っていうやつですね (^_^;)

そういうのに近いことが介護の生活の中でもあるんですよ。だからこそ、そういう仕事をしてくださる方々がいらして、家族としての癒しもあるわけですね〜 (^_^) そして、これはやったことがある人にしかわからない萌えポイントなのでした (^_^;) たまらんな〜。



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