2017/06/29

喪失の哀しみを癒すのは結局歳月しかない


ほっといてあげなよ

市川海老蔵、ブログ“更新しすぎ”批判の声に「許してください」


いや、私は別に芸能界にはまったくといっていいほど興味がないんですけど、昨夜たまたまTwitterで流れてきたこの記事に関することでつぶやいたら、わりと反響があったので、早速ネタにしています。


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世間というのは口さがないものだと感じました。ブログを更新しようがしまいがほっとけよ、というわけですが、悲しみの最中にいる人はブログを更新すぎてはいけないものらしいですね。くだらねー(ーー;) まあ、こういうことでいろいろ言う人っているもんだなあ、と思いました。

日本の男性は泣かないのが美徳のように思われてきて、こういう場面では感情表現を抑えてしまう人が多いと思いますが、それって良くないんですよね。みっともないくらいに泣いてもいいんだけど、きっと泣けないだろうから、代わりにブログを書く、書いて慰められてまた書く、の繰り返しで、少しずつ少しずつ気持ちが慰められていく効果があると思っています。

そういうのを他人がとやかく言う筋合いはないよねえ…(ーー;)

(ごめん、実は私海老蔵さんのブログは読んでないんですが…、流れてきた情報だけで書きました)



感情と気分と思考を区別する効用


子供の頃はいまいち直接の感情表現が得意でなかった私ですが、今のほうがむしろタガが外れたといいますか、感情表現は適切にしないとあとで怖い、というのを思い知りまして、今はそこそこ正直にやっております。

内向的な子供&大人である幸せ


パパ、ありがとう(2009年10月19日の日記の再掲)


白手袋(2009年10月20日の日記の再掲)


で、喜怒哀楽を素直に表現するのが難しい場合に、ブログなりなんなり、自分が表現しやすい方法で自身の癒しを探せるようになっているのではないでしょうか?

美術も音楽も文学も哲学も、医学も広い科学も、人生が穏やかな波のようで、人々がずっと幸せなら生まれてこなかったんじゃないかという気がします。ずっと幸せなわけじゃない、苦しみも悲しみも多いから、そういう場所から文化も学問も生まれてきた気がします。

これらは使い方によってはマイナスになりますが、そうじゃないプラスの生かし方が必ずあって、それを見つけていく課題もありますが。

結局、喪失の哀しみを癒すのは歳月しかないんですよね。時が最良の薬。だからそばにいる人間ができることとしては「ちゃんと眠れてますか?」「食べてますか?」という日常的なことに注意を払って、あとは黙って見守ってあげるのがベストだと思います。

母がかつて親友の夫の死別に対して、かなりのあいだ、そういう気遣いをしていたことを覚えていますし、その人にはいまだに感謝されています。そういうことが自然にできる人でした。



広い範囲の思いやり

それと今回、同じ病で闘病中の方や家族の方々が、少なからず衝撃と影響を受けてしまった、とお聞きしているので、はやく静かにそっとしておいてあげる、というのはやはりベストでしょう。

相模原事件の時に、あの時は犯人が精神疾患である可能性が高いと聞いて、我々もかなり心が穏やかではなかったというのが正直なところです。事件や死や病気はきわめて個人的なものだと言っても、どうしても影響を受けてしまうのが人間ですから…。


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今日の記事はつぶやきをピンで止めてみました(^_^;)

腰はやっぱり痛いけど、じっとしていても良くなりそうな気がしないので、母のところに言って、ついでに買い物もしてこようと思います。いまのバッグが相当重いんですが、これ以上なんとかするならリュックとかがいいのかな??でもリュックはいまいち使いづらいしなあ…(ーー;)



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