2016/01/31

大人になる痛みのある瞬間、私は生涯の友を得た



Yukiさんがコメントの中で触れてくださった本「哲学する赤ちゃん」を実際に手に取って、数十ページ読んだところで、押し寄せて、かつ溢れてくる自分自身の記憶の洪水に呑み込まれて、先に進めなくなってしまったので、ちょっと一服して、頭の中を整理する必要性に迫られました。厄介だなあ (^_^;)

詳しい内容はYukiさんが書かれています。

「子どものイマジナリーフレンドは小説家の文学的創造性と関係している」






私はやはり他の人よりも鮮明な記憶をたくさん持っているのかもしれません。それも五感の記憶ですね。3歳くらいまでの記憶も少なくないですね。

赤ちゃんは皆、考えようによっては大人よりもすごい能力を持っていますが、私の原点として、普通の人よりも多くのものを感受しているらしい、というのがあります。その中には自律神経過敏というのが含まれています。

母に聞いたところでは、私はいつごろから自家中毒などというものを起こすようになったのか?というと、1歳を過ぎる頃、1歳半ではもうはっきりと、人ごみに出ていった翌日にはもう吐いて意識がなかったそうです。「自然の中」じゃなくて「人ごみ」が問題なんですよね。単にファッションや見かけのものではなくて、多くの人の感情や感覚を無意識のうちに感受していたきらいがありますね。

これが結局、片頭痛から双極性2型障害にも至る経緯になるわけで、いまだに自律神経系統は低気圧などに勝手に反応してくれますし…。なんかしら「地球の一部である」のを体感しているような感じかもしれません (ーー;) いいのか悪いのか。



弟がまだ生まれる前に、母が虫垂炎で入院&手術したことがありました。私が3歳ごろかなあ、と思います。「母が入院した」という事実が当時の私には衝撃かつストレスだったのか、その夜、やっぱり自家中毒になりました。父が対応してくれたのを覚えています。それが上手かったのかどうかわかりませんが、その時の症状はあまりひどくならず、私まで入院するに至らずにすみました。…そういう刺激で過敏に反応してたんですね。

小学1年の時に「扁桃腺が原因かもしれない」というので、扁桃腺の手術をして、そのショックで自家中毒になって(喉を切ってるから吐くと出血するのです)、それが最後の入院でしたが、中学生になるとそれが片頭痛として表に出てくる次第… (ーー;) 片頭痛もあまりにひどくて救急車に乗ったこともありました (ーー;) (大人になってからですが、脳出血とかを心配した家族に乗せられた)




ところで、今の家に越して来た頃は、近所にもとても子供が多かったんですね。今思うと信じられませんが、当時の小学校は本当に1500人以上いたかもしれないマンモス校でした。集団登校もするし、放課後は弟も含めて、本当に近所の子達と家の前で遊ぶんですね。ゴム跳びとか、石をなげて跳ぶような遊びとか、道もまだ舗装されていなかったので、かかしを描いたり、ビー玉遊びの穴を掘るのも容易いものでした。

かくれんぼとか、ゲタ隠しとかもやっていたなあ…。私は精神的に幼い部分があったのか、遊びを提案しては、少し年下の子達に教えて、自分も一緒に遊んでました (^_^;)「あんたら、もうご飯やで!」と親に呼ばれるまで、勉強もしないで外で遊んでたなあ。

それがですね、ある時、私にとっては衝撃的、とも言える意識変化が起きる時がきました。どういえばいいのかなあ…。ある日突然に「自分はもう子供ではない」という意識が目覚めてしまったんですね。気がついた、というか。それまで、子供たちの輪の中にいたのに、いきなりそこへ入れなくなったというか、「もうあそこには戻れない」というのもはっきりわかったんです。近所の子達は誘いに来るけど、もうそこには帰れないことだけは痛いほどわかって、あの時の気持ちはもう独特のものでした。

小学5年生の初夏。梅雨明け間近の透明で涼しい風の吹く夕方でした。これもはっきりと五感で記憶する切ない痛みでした。




それで改めて気付きました。私の中のイマジナリー・フレンドが明確にしっかりとした形を持ってきたのはそれ以降だったということに。それまでは今のようにはっきりした形は持っていませんでした。で、彼らの存在に「大人になっていく孤独や切なさ」を癒されつつ、いっそうお絵描きを始めとする内的な創造作業に夢中になっていったみたいです。

外に向いていた関心が一気に内部に向っていく瞬間ってあるんだなあ、と思いました。多分それ以降を思春期だと呼んでもいいんじゃないかと思いますが。普通なら子供の成長に手を貸して消えていくはずのイマジナリー・フレンドですが、私には大人になるために必要な存在だったのですね。

実際に大人になってからの艱難辛苦を彼らと共に乗り越えてきていますから、果たしてくれている役割は半端なく重要です。イメージを運んでくれるのもやはり彼らですから…。生きることそのものと、創作のためと、二重に重要な存在ですね。



うーん、この本、とても面白いと思うんですが、途中で自分の記憶の洪水が起きるために、ちゃんとラストまで無事に辿り着けるかなあ?と不安です。ものすごい記憶に刺激をもたらしてくれる本でびっくりしています。世の中にはこういう刺激的な本があるんですね。びっくり。(でもそういう反応が起きるのは多分私だけだよね… (ーー;))


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2016/01/31

引きこもりで動けない人間は緊急時にも役に立たないと思う


…否定するなら普段から動いてくれ… (ーー;)


なかなか風邪が抜けません。主には鼻炎の症状なんですが、そのせいでか耳もこもったような感じがするし(右耳は2、3年前に風邪を引いた時以来、若干聴こえにくいのですね)首は凝るし、頭は重いし、とにかく首と肩から上の不快感が強いです。これもうつが重なっているから余計にかもしれませんが… (ーー;)

昨夜は微熱もあったので、早めに寝て、しっかり10時間寝ました。この微熱も風邪からなのか、自律神経的なものか、判別が出来ません。私はしばしば37℃代前半の微熱が出るから…。身体の倦怠感、疲労感、しんどさも、うつか風邪かの区別がつかないんですよね。しんどいのは確かにあるんだけど、しんどいから病院に行く気力も出ない…という (ーー;)




以下、愚痴になります。すみません。不愉快な方はスルーしてください。

自分の具合が良くない時は、いっそのこと、もう自分一人になりたくなります。自分の面倒だけみていれば充分、って感じで。寝ていたい時には食べずに寝ていてもよければどんなにいいかと思うんですよね…。

風邪をうつす心配があるあいだは、母のところには行けませんが、まあ、特養ですし、スタッフの方々が看ていてくださるだけましだよなあ、と思いつつ…。

でも顔を見せるくらいは弟に行って欲しいのです、本当は。去年4月の入所以来、自分のメンタルがどうこうって、全然一度も顔を出していないですし。私が行けない時くらい、かわりに行ってくれてもいいと思うんだけど (ーー;)

いなければあてにもしませんが、なまじ眼に見えるところにいるだけで、やっぱり当てにする気持ちが生まれてしまうから…。仮に私がいなくても、自分でちゃんと生活出来るくらいになって欲しい、というのが究極の願望ですが、そこまでいかないとしてももっと家事を手伝って欲しいとは思っています。ゴミを出すとか、食べた食器を洗うとか、そういうことも以前はやっていたのに、いまはまったく… (ーー;) でも食べることは食べるから私はそのことを考えないといけないし、しんどいけど、買物に行こうとすると「ついでに煙草も」とか頼まれるわけです。

夫婦だったら離婚できるけど、姉弟ではどうしようもありません (ーー;) 自分がしんどい時には非常に重く感じます。こんなこと言ったら罰当りかもしれませんけれども…。




リバースモーゲッジと言う制度があります。

65歳を過ぎて、生活費に不安がある。でも住んでいる家はある。だからその家を担保にして、年金のようにたとえば20年なら20年間、毎月銀行から借りて補填するのですね。で、20年後には不動産は銀行のものになります。(20年経っても生きていた追い出されるかな…)ちょっと変型の生活保護っぽいですが、でも家を残さなくてもいいという人にはちょうどの制度かもしれません。

ただし、この制度、一緒に住めるのは「配偶者もしくは高齢の親」のみになっております (ーー;) これまた姉弟というのは対象外なんですね。

きょうだいというのはなにかと相続関係でもめ事になったりするからでしょうか。ましてや「家」ですしね。同じ世帯でいたら、姉弟でも運命共同体にならざるを得ないと思うんですが…。



自分が辛い時にはいろいろと考えてしまうものですが、この記事を読んで、余計に考えることが増えたかも…。

「SOSは届いていたのになぜ?40代姉弟の孤立死を招いた真因」

ひきこもり、の実態というのがいまいちよくわかりませんが、救いを求められないほど、出られないものなのかなあ?とは思いました。上のケースは引きこもりよりも急病かなにかのようにも思えますが…。

二人でいても、外に出られる方の人間が動けなくなって、引きこもっている人間がなにもできなければ、どうにもならないわけだ。

正直なところ、そこまでの引きこもりとかSOSも出来ない状態っていうのが理解出来ないんですが、いざというときに動けない人間はあてにも頼りにもならないっていうのは胆に銘じておくべきかもしれません。「あそこはふたりだから安心」とはとても言えないですよね。

普通に暮らしている町中のどこにエアポケットが存在しているか、そういうことは忘れてはいけないと思いました。


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2016/01/31

01/30のツイートまとめ

haruusagi_kyo

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01-30 21:07

年齢に関係なく尊敬される基本はやっぱり人間性の問題だよね。 / 他9コメント https://t.co/nMY8sxdwxC “尊敬の世代間継承断絶――老人を尊敬できない時代は誰にとって不幸か - シロクマの屑籠(汎適所属)” https://t.co/qMfrk2XCYh
01-30 12:21

RT @warotasokuhouww: 【修造速報】松岡修造ソチへ飛ぶ↓ソチの気温を10度高める↓日本では47年ぶりの大雪↓現在の松岡修造は46歳↓松岡修造がソチを離れて即、気温が10度下がる↓松岡修造帰国、雪の予報が消える←New!!!!! https…
01-30 11:05

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01-30 08:30

2016/01/30

他者に尊敬されるのは年齢とは関係がない



最近、いくつか続けて「老人が尊敬されない時代になった」というような主旨の記事をいくつか見つけたので、そのことについて書きたくなりました。

読んでいるうちに正直なところ「尊敬に値する点、というのはなんだろう??」という素朴な疑問が生まれてきたのです。

たとえば専門的な分野での優れた技術、業績などはわかりやすいし、気付きやすい点でもあるし、そのことに対して、思わず「尊敬の念を抱いた」というのもわかりやすいですね。



でも「尊敬に値する点」っていうのは本当にそれだけ? 技術は教えてもらうことが出来るし、師匠から教わった技術がいつしか師匠を追い越していたりするかもしれない。そうしたら、師匠のことを尊敬出来なくなったりしますか?おそらくそうじゃないと思います。厳しく注意されたことでも、実際にその場に役立った時に、ああ、あれは自分のことを先まで心配して教えてくれたんだ、って実感する時が来て、初めてありがたさがみにしみて、改めて尊敬し直すことってあると思うんですよね。

技術とか、業績とか、経験とか、そういうことはあまり本質ではない、と私は思っています。

それではなにが「尊敬に値するものなのか?」と言いますと、それは「人間性」それに尽きますね。

確かな技術や業績や立場などの裏にあって「その人をその人たらしめてきたもの」「長い時と経験が磨き上げてきたもの」…そういうものが「人間性」であり、最も尊敬に値するものだと思っています。




で、その人間性の視点から見ると、尊敬の対象は老人だけではありません。同じ世代の中にも、自分よりも年下の世代の中にも、尊敬に値する人物は存在します。

私はわりと広い世代の年齢層と知りあうことも、おつきあいすることも多いのですが、やはり「人として尊敬に値する人物」は広く各世代に分布して存在しています。私はそういう人を見つけるのが上手いんですよ (^_^)

それというのも、アドラー先生風に言うと、誰とも同じ高さの平原にいるからで、困った時には助け合うことが出来る機会にしばしば恵まれているからです (^_^)

若くても、老人でも、同じなんです。同じじゃないけど対等なんですね。立っている高さがみんな同じだから、人間性っていうのもよくわかります。

たとえ認知症になったところで、本質的に変わらないものってあるんですよね。そういうのも人間性の一部だと思っています。極端に言えば裸で何も持たずに立っていても「見る人が見ればすぐにわかる何か」です。もちろん「見る側」にも能力が必要になるんですね。




知識や知恵を伝えるのは老人でなくても出来るかもしれませんが、でもそれ以外のことで老人でなくては出来ないことも多々あるんだなあ。私はもちろん両親のことも尊敬していますが、他にも尊敬する高齢者がたくさんいます。同世代の中にも尊敬する人はいるし、もっと若い世代の人でもそうです。実は「尊敬」するのに年齢は関係ないんですよね。どこまでも対等に見ることでわかることは多いです。

相手の人間性をそのまま見るにあたって、立場とか学歴とか業績とか、そういう文字で書いてしまえるようなものはかえって邪魔なんです。私はSNSでも相手のプロフィールはほとんど見ていないんですが、それもそういう判断の邪魔になるからですね。そういうものにこだわらない方が「裸の人間性」がよくわかるから。それによって尊敬できる相手がよくわかるから…。




みなさん、アドラー先生に興味を惹かれるわりに、そういうところに気付いていないみたいで、かなりもどかしいですね (ーー;) 年齢も性別も国籍も学歴も、業績も、そういうことを全部とっぱらったところで、対等の相手を見て欲しいです。

やがて自分が「尊敬される人間(老人と言いたいならそれでもいいや)」になりたければ、今のうちにそれに気付いて人間性を高める努力をしておかないと駄目ですよ。

まずは老若男女問わず、尊敬に値する人とたくさん知り合って、楽しく実のあるおつきあいをしてください。そうすれば「本当に大事なこと」が見えてきますから…。いろんな世代のいろんな友人知人はみな、良き人生の師匠でもあります。

私はいつも言っていますが、「老人は生きた歴史の証言者、若者は未来への旅人」だから、しっかりと掛け橋を渡すのが私たちの世代の大切な役目でもあるのです。

みんな対等なんだよね。年上から尊敬される若者だって子供だって存在するんだよね。本質をしっかりと見極めることが出来る人は、人生でより多くの宝物に出会えるのは紛れもない事実です。ただし、それを見つけて発掘する努力も必要とされますが… (^_^;)

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2016/01/30

脳と魂は五感(プラス情動)で記憶する



出来ればご飯が作れたら…、という希望のもとに予約投稿しておきます。自信はないですが… (^_^;)



興味深く、脳の話が続きます。

普通、人は赤ちゃんの頃から、幼児期のことはほとんど忘れてしまうのだそうです。「幼児期健忘」というそうです。


ところが、私のもっとも古い記憶というのは前にも書いたことがあると思うのですが、生後7カ月のことになります。昨日看護師さんにその話をしたら、「さすがにそこまで古い記憶は初めて聞きました」とおっしゃっていましたが…。

私もそこは特別で、本当に五感ですべて覚えている灯火のような明るい鮮明な記憶なんですね。写真を見ながら、祖母と母(その時その場に居合わせた二人)に確認しても間違ってはいませんでした。別に痛いとか辛いとか、そういうマイナスイメージの記憶ではないのです。むしろ春の梅林、御所の芝生の上で、日差しと風と梅の香りを感じて気持ちがよかった記憶ですから…。

子供の頃、最初の子供だというのもあって、父はマメに私の写真を撮ってくれました。それでも幼稚園に行く以前の記憶は写真に残っていても記憶になかったり、逆に写真に残らないささやかなエピソードとしても記憶には残ったり…。あのあたりのまばらな感じはとても不思議ですね。

そもそも赤ちゃんは外の世界のあらゆるものを五感を使って学んでいくもんね。触って舐めて匂いを嗅いで、眺めて聞いて。五感は人が世界と触れ合うのにとても大事なものだったのですね。



それで私は気付きました。うんと幼いころの記憶でもしっかりと残っているのはほぼ五感を働かせていた記憶だということに。で、その時に感じたことや考えたことも同時に残っているんですね。「思考」というはっきりした形にならなくても「感じた」ことは強く脳に刻まれるらしいです。で、それらはやはり五感と共に蘇ってくるのです。

大人になってからも、これは生涯生きているかぎり忘れないだろう、という記憶はやはりこの「五感」を伴っています。さらに感情と思考も。映画のシーンをそのまままるごと再現するように蘇る記憶…。

これも自己防衛の意志が働くのか、辛い記憶はなるべく再生しないようにするか、あるいは辛さを乗り越えて、べつの価値を持つものに再構成するか、どうもそういうことが私の中ではなされているようです。なので、蘇る記憶で鮮明なものは幸福感を伴うものが多いです。

あれですよ、好きな人と気持ちが通じた時のものすごい幸せな記憶なんて、やっぱり映画のシーンみたいですよね。これは大人になってからですから、よりはっきり覚えています。

母と二人旅した富良野、美瑛。ラベンダーの香りと花と空の色と、浮かぶ気球とか、当時は私はカメラを持っていなかったので、よけいにくっきりはっきりと五感が記憶しています。カメラがあると、どうしてもそれに頼ってしまう部分があるので…。人に伝えるには有効な道具ですが、自分自身の記憶にはあまり重要でないツールかもしれません。




看護師さんに指摘されましたが、私はそういう記憶がすごく鮮明なんだそうです。人やシーンや風景に関する記憶ですね。数式や年表は全然記憶出来ないんですけど(でも地図は覚える。ビジュアル系は強い)、五感が記憶するものはよく覚えているんですよね。これももしかしたら創作と無関係ではないかもしれません。臨場感そのものに感情や感覚まで存在しているわけですから…。

父の臨終に立ち会った数日間の記憶すら、哀しみを通り越して、むしろ共有した最期の時間の幸福感に変化しているくらいです。

どうも私はそういう記憶の仕方がデフォルトになっているみたいです。丸暗記、全然駄目です~ (^_^;) 要するに身体で覚えないと覚えられない典型みたいですね (^_^;)



いろいろとユニークな働きをしていそうな私の脳なんですが、もっと頭がよかったら、自分の脳を研究してみたかったかもしれません… (^_^;)理系のことはあんまり向いていない気はしますけどね (^_^;)

多分、受験関係とか、そういうものは五感で覚える気もしないので、取り組むだけ無駄でしょう (ーー;) そこいらは自分の価値観が働いて「無駄」と決めたことには意識を向けないからいけません。それこそ劇場型の面白い授業をしてくれる先生でもいれば別ですが… (^_^;) 

昨日読んでいた芸術脳に関する本も、数式が出てきた時点でアウトでした (ーー;) ニューロンの働きをグラフで表現したものは結構面白いなあ、と感じたんだけど…。私の成績の得意不得意はわりと教え方を反映していたりするわけだ…。怖いね。先生に好かれないわけですね (^_^;)

面白いけど、やっぱり学問向きではないような感じです。



こういう記事もたまたま見つけました。

「紙は五感への訴求力が強い」
-和紙やファインペーパー、ファンシーペーパーは感性機能紙とも言われる-


なるほど、私は紙の本でないと駄目な理由がちゃんとあったんだ。ものすごく納得しました。五感で本を読む人間だからだなあ、まさしく。とても納得しました (^_^)

ちゃんと論理的に繋がったぞ。こういうのが面白いです (^_^)


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2016/01/30

01/29のツイートまとめ

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01-29 21:08

2016/01/29

ジェンダフリーな脳と想像力と妄想の暴走



雨ですが、うつですが、風邪もまだ治りませんが、とにかく放っておいても解決しないので、役所関係の用事を済ませてまいりました。

母の障害者関係の書類を提出して、私と弟の自立支援の方の処方薬局を一箇所追加してもらって、ふと後ろを見たら、市長選挙の期日前投票をやっていたので、ついでにそれも済ませてきました。日曜日にわざわざまた行かなくてすみますし…(^_^;)

で、タクシーが拾いづらいので、隣の医療センターまで行って、中のコンビニでお弁当買って、病院の前で客待ちタクシーに乗って帰って来ました。

まだ雨が降っていて、鼻炎とうつのおかげで頭が非常にうっとおしいです。昨日のマッサージでも目のまわりが結構凝っていて、それも多少は風邪の影響かもしれないなあ、と思ったことでした。風邪でしんどいのか、うつでしんどいのかわかりません…(ーー;) やれやれですが、まあとにかく早い方がいい用事はすみました(^_^;)



いつも興味深い話題を大変わかりやすくかみ砕いて紹介してくださるYukiさんのサイト&ブログから。

これも大変面白い話題です (^_^)

「なぜクリエイティブな人は男らしさも女らしさも兼ね備えているのか―創造性はジェンダーフリー」


頭の中でキャラクターが動いて、物語を織り上げていく作業、たとえば小説や漫画や脚本などを描かれる方にはものすごく納得出来ることだと思うのですが…。

私の脳もジェンダーフリーです。これはもう、小学校に入る頃には明白になっていました。「お話が出来ていくこと」は幼児の時からすでにありましたが、意図することなく、ほぼ勝手にキャラクターが動く、というのを認識したのが小学生の時だったのですね。鉛筆で初めて「漫画のようなもの」を描いたのもそのころです。中学生になるとそれがさらに本格化するわけですが。

物語を構築するのだから、キャラクターひとりでは不可能です、複数のキャラクターが出てきます、主役や友人や恋人やライバルや、明らかな悪役や敵などなど、それも意図しないでも勝手に生まれて来て、しかもきちんとした人間としての背景や過去を背負っているわけです。こういうのが意識しないで表に出てきたら、境界型人格障害になるのかもしれませんが、「キャラクター」としての存在はしぶしぶとでも作り手を尊重してくれるのですね。



もうそういうのとは別格で存在しているのがイマジナリー・フレンドですけれども… (^_^;)

私のイマジナリー・フレンドは青年や少年がメインなんですよ。少女もいますし、今メインで行動しているのは少女ですけど、思春期から大人になって、私がしっかりと自立するまでにメインで存在していたのが青年や少年でした。
それも外部に対して結構強気で押しも効くけど、そのくせナイーブな部分もあるしなあ、という複雑な性格を持っていました。でも価値感というのは私が12、3歳くらいの時から断固として核になっていて、それは彼らにも私自身にも共通するものでした。

ですから、時々、外界と交渉するにあたっては彼らの冷静さや押しの強さや勇気を借りることも多々ありました。もともとそういう部分も私自身の中には存在しているということですね。性別…無関係ですね (^_^;)



ジェンダーフリートイマジナリー・フレンドのおかげで、大抵の人と共感することも出来るのではないかと思っています。老若男女あらゆる世代のキャラクターが自分の中にもいるもので…。

このごろすぐに妄想が暴走する嫌いがあって、このあいだも死神にまつわる話がいくつか出来たかと思うと、「死神が美形なら、吸血鬼はもっと美形よね」という想像から、たまたま美形でない吸血鬼と盲目の人間の少女、というような話がまた勝手に生まれて来て困りました (^_^;) いくらお話が生まれても、もういまさら漫画を描く気力も体力もありません… (^_^;)

脳ってそれでも暴走するんだな。任せておく方が精神衛生によさそうなので、ほっぽってありますけど… (^_^;)



夢の中でも結構ジェンダーフリーですよね。さすがに大人になると自由な夢はあまり見ませんが、でも若い頃はそのまま漫画になりそうな面白い夢を結構見ました。その時も夢の中でよく男の子になっていて、今の自分の肉体ではとてもこうは身軽に思えない、非常に運動神経がある、身の軽い少年になっていたりして、動ける感覚がよくわかるのが非常に快感でした(^^)

空が飛べたり、木登りしたり、スポーツや武道に長けていたりとか、そういう設定で動けるのって、相当願望が入っていますよね(^_^;) でもそれでフラストレーション解消に役立つのも確かですし…。



想像や夢や現実や、あらゆる機会にふと顔を出す、ジェンダーフリーな自分って、実はかなり好きだったりします。私が自分のことを好きなのはそういう部分も含めて、それなりに愛おしく感じているからかもしれません。(メンタルの中で同一化していれば、外見で同一化したいとは思わないのだなあ…)

基本的にどちらでもなれるから、性同一性障害のような不自由さは感じません。セクシャリティも自由だから、やっぱりこだわりはないと思います。そのかわり「これじゃないとダメ」という執着もないです。もともと恋愛体質でもないですし、あんまりいろいろなことにこだわっていないですね…。

どうも私の脳はそういう風にこだわりない方向に強く働いているような気がします…(^_^;)



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2016/01/29

01/28のツイートまとめ

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01-28 21:08

個人利用可??ギャラリーとかどうかな? / “WordPressで人気のテーマSTINGERベースのビジネス用テンプレート「micata(ミカタ)」がリリースされました - 攻めは飛車角銀桂守りは金銀三枚” https://t.co/Pitt4ltNv2
01-28 20:26

2016/01/28

名も無き花(絵)はひっそりと荒野に咲く



昔、まだ結婚する前のうちの両親はよく日展でデートしていたそうです。これは母の証言 (^_^;) 絵画には特別に関心がないように思われる両親でしたが、意外にそういう文化的なことは好きだったんですね。まあ、母は絵画よりも書の方が興味ありそうでしたが…。

二人とも、私がまだパニック障害を克服していない頃、でもどうしても行きたい展覧会がある、というと、快くついてきてくれました。なので、私も安心して鑑賞することが出来ていたんですね。やっぱり親ってありがたい。いるだけで精神安定剤になる存在でした。

そのうちにましな時は自分一人で、能楽堂やら美術館やら博物館にも行けるようになりましたが、このごろ本当に余力も気力もなくてご無沙汰です。情けないなあ。せっかく常設展無料の手帳をもらっているのにね~。いまでもなんとなく地下鉄は好きじゃないけど、バスを乗り継いだ経路なら行ける気がする。暖かくなったら行けるといいなあ、美術館&博物館 (^_^;)



今、やっと母の診断書が届いたので、明日にでも役所に行こうと思っています。風邪の具合によって、母のところにも顔出しできるといいのですが、なんとも目まで(片方だけ)風邪引いてる感じなので(目やにがたまる)まだ無理かなあ、とも思っています。

今日はお昼過ぎからマッサージなので…。行くとしたら明日の午前中ですね。午後は訪問看護師さんですしね(^_^;) なんか妙に忙しいです。今日もさっき買い物には行ってきましたし…。100円ショップへ。



この写真は一目惚れして買ったクッションカバーです(100円ではなくてAmazonで買いました)。鹿とか鳥とか、いかにも森のイメージがツボでした。なんとなく隙間風が入りそうで寒い顔の横などに置いておくのにちょうどいいです。おかしなクッションの使い方ですが(^_^;)

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私がまだデザイン会社に勤めていた頃なので、20年ちょっと前でしょうか。

「これ、うちのおじいちゃんの形見なんです。絵がお好きな方々に見ていただけたら、と思って…」と、ご家族が持ってこられた画帳がありました。和紙を綴じた手作りぽい感じの画帳で、2、3冊あったと思います。

私もありがたく見せていただきました。墨と顔彩で描かれたあまりにも見事な花鳥画…。なにしろ原画ですから、伝わってくるものがすごいんですよ。まさしく「言葉を失う」という感じ。

「これ有名な画家の方なんですか?」と尋ねると「いや、その人は普通の大工さん(だったと思う)。絵は好きで描いてはったんやなあ…」「好きだけでこれだけですか…(絶句)

私は自分の「見る目」にはわりと自信を持っているほうです。いや、正確には「見る目」じゃなくて「感受性」だと思いますが。

だってさ、好きなもの、たとえば本でも手に取ると作者のみならず、編集した人や装丁した人や印刷した人やその他関わったすべての人の思いが瞬時に伝わることがありますよね?私はよくあるんですけど…。そういうパターンの直感的理解ですね。


生業とはまったく別の次元で、大切に大切に愛情を持って描かれた作品世界がそこにありました。一流画家の作品から受けるものよりも圧倒的な「何か」を私は受け取りました。その余韻はかなりあとまで心の中に響き続けていました。

見えてくる風景。雨の日は大工さんは仕事がお休みなので、日頃からスケッチしていおいた下絵をもとに、一筆ずつ丁寧に線を描きおこしていかれます。愛おしむように色を塗り、鳥の瞳を描いて…。完成した瞬間の表情まで見えてきそうな気がします。いえ、全然知らない方なんですが… (^_^;)

もしかしたら画家になりたかったのかもしれませんよね。でもなんらかの事情で別の道を選んだ。そして別の道でも一流になっても、それでも忘れないで描かずにはいられなかった…。ものすごく私自身と共鳴するものがあります。




あの手作りの画帳に納められた名画たちは広く知られることもなく、ただ子孫だけに残されていくのだろうか?と思いました。

人知れず、野に咲く花が、誰にも見られることなく、咲いて散る…。そういう景色も浮かびました。野に咲く花だから派手ではないのですね。でも素朴で可憐。虫たちや小鳥が蜜をもとめてやってくる。しばらく前に見た写真のように、野生動物たちが花の香りにうっとりしたり、たまたまみょいこんだ旅人が一息、疲れを癒されたり…。

名もなく、ひそかに人知れず咲く「作品」という花。そういうものもあってもいいのかもしれない、と思いました。

花が枯れても地中に種は残ります。ひそかに、ひそやかに受け継がれる野花の命のように、そういう作品や絵画はたくさんあると思います。世界中に知られる名画はごくごくわずかなものにすぎない…。

でも「名もない花」はきっと無数に咲いている。そういう花々に出会いたいと思います。

そして私もそういう作品が残せたら本望だなあ、と思います。誰かの心の中で、いつかはるかな未来に咲く花の種となって…。

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2016/01/28

01/27のツイートまとめ

haruusagi_kyo

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01-27 21:08

統合失調症や双極性障害と、クリエイティブな才能の関係が薄いとされる説もあるんだけど、だとしたら私が知る病気に悩む人たちの中の圧倒的な才能を持つ割合の多さってなんだろう?主に絵と音楽。たまたまそういう人と知り合うだけなのかな??それにしても不思議。 #双極性2型
01-27 20:53

ここでしか言えない。ブログなどで「おすすめ本」を特集した記事があって、興味を覚えて行ってみた時のラインナップが専門書や小説やエッセイじゃなくて、自己啓発本ばっかりだった時の失望感って半端ない。個人的に自己啓発本はあんまり「読書した」と言える類の本じゃない〜(>_<)
01-27 11:54

大丈夫ですよ。また徐々に好きになることがあります、というか戻ってきますよ (^_^) / 他1コメント https://t.co/C18A1VJeNe “「一番好きなこと」を仕事に出来ない理由 - つれづれ日記ー逝春抄ー” https://t.co/h3B9Baa9BB
01-27 10:36

これからもっと普及して必要になるシステムだと思います。 / 他7コメント https://t.co/oeXW7wt1YS “トリアージとは?正しい救急車の使い方 - ナースほど誇れる仕事はありません” https://t.co/YrI2JYzAIj
01-27 08:44